ヒラリーは「そうね」と言ったのか ― 翻訳と役割語の問題

良くも悪くも世界が注目するアメリカ大統領選挙。11月の本選挙が迫ってキャンペーンもたけなわの9月26日、第一回目の候補者ディベートが開催され、その様子は日本でも報道されたらしい。Twitterで「東洋経済オンライン」が発信したツイートがリツイートで流れてきたのだが、そこにリンクされている記事(http://toyokeizai.net/articles/-/137758 ※注:記事はすでに削除されている)を開いてびっくりした。

 

トランプは「その通りだ」 クリントンは「そうね」

「トランプ氏は努めて落ち着き、大統領らしさも醸しだしながら論理の矛盾などは見せずに乗り切っている」という、同じディベートを聞いていたのか疑ってしまうような分析も驚きだが、びっくりしたのはその前に紹介されている両候補のやりとりの和訳だ。

トランプ氏「30年間も政治家をやっているのに雇用問題の解決策を今考えているのはなぜ?」

クリントン氏「考えていましたよ、30年ではないかもしれないけれど。夫(ビル・クリントン)もいい仕事をしたし、この討論会が終わった頃には全て私のせいにされそうだわ」

トランプ氏「その通りだ」

クリントン氏「そうね、これまでと同じように訳のわからないことを言うといいわ」

ヒラリー・クリントン大統領候補が、いわゆる女ことばでディベートしているのである。記事には動画がついており、配信元は「日テレNEW24」。日本テレビ放送網のニュースチャンネルで放送したニュースを文章化したものだ。候補の発言の訳文は、ニュースで、以下のやりとりの字幕に使われている。

TRUMP: And, Hillary, I’d just ask you this. You’ve been doing this for 30 years. Why are you just thinking about these solutions right now? – I will bring back jobs. You can’t bring back jobs.

CLINTON: Well, actually, I have thought about this quite a bit – well, not quite that long. I think my husband did a pretty good job in the 1990s.

CLINTON: I have a feeling that, by the end of this evening, I’m going to be blamed for everything that’s ever happened.

TRUMP: Why not?

CLINTON: Why not? Yeah, why not? – You know, just join the debate by saying more crazy things.

トランプの「その通りだ」とクリントンの「そうね」は、実際の発話ではどちらも”Why not?”だ。トランプの言葉をそのまま繰り返したクリントンの言葉が、字幕では全く違う口調に訳されているのである。

 

女性政治家は「そうね」と言うか?

ヒラリー・クリントンといえば、2000年にニューヨーク選出上院議員になり、2007年には民主党の大統領候補選出選に出馬。オバマ旋風に破れたものの、オバマ大統領第1期では国務長官を務めた人物。今回の大統領選挙では民主党候補指名を争ったバーニー・サンダースからも共和党のドナルド・トランプ候補からも「体制派」と批判を受けるアメリカ政界の大物であり、また年齢の高さや健康の衰えを取り沙汰される68歳である。

そのベテラン政治家がディベートの激論で「そうね」「〜だわ」という言葉づかいをするだろうか。例えば最近民主党代表に選出された蓮舫や、今夏東京都知事に就任した小池百合子、安倍内閣の高知早苗総務大臣や稲田朋美防衛大臣が討論でどんな話し方をするか考えれば、ヒラリーの「そうね」「〜だわ」はいかにも不自然だ。

…という主旨のツイートを投稿したら、「それは『女ことば』というよりも『役割語』ではないか?」というコメントをもらった。

 

役割語としての「そうね」

役割語とは日本語学者の金水敏が提唱する概念で、同氏の2003年の著書『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』で一般に知られるようになった。タイトルが示唆する通り、アニメや漫画に登場する老人が広島出身でもないのに「わしは〜じゃ」と言うなど、役割語は現実に使われない言葉づかいだ。しかし、「わしは〜じゃ」なら老人、「あたくしは〜でしてよ」ならお嬢様など、セリフを通じて登場人物の設定、属性を読者に知らせるという機能を果たしている。

この役割語は海外ドラマや映画作品の字幕や吹き替えでも多用されていて、中でも顕著なのが「女ことば」だ。翻訳における女ことばは以前Twitterで翻訳者の間で話題になったことがあり、その時のやりとりがTogetterにまとめられている。
「翻訳された女」は、なぜ、「~だわ、~のよ」語尾で喋っているのか。

ここでも不自然な女ことばを使った翻訳に批判の声が集まったのだが、一方でTwitterでの会話では、字幕翻訳者から「字幕では、どのセリフを誰がしゃべったのかを一瞬で判断できるようにするために、敢えて女性は女ことばにするという事情もある」という指摘もあった。吹き替えドラマや紙媒体のインタビュー記事で女ことばが使われる説明にはならない。

翻訳における役割語としての女ことばについては、言語学者でフェミニストの中村桃子が『翻訳がつくる日本語―ヒロインは「女ことば」を話し続ける』という著書を出している。

中村氏は日本翻訳連盟(JTF)の機関誌『日本翻訳ジャーナル』に、『翻訳がつくる日本語』という文を寄稿して、この著書でなぜ翻訳作品における女ことばに注目したのかを語っている。性差を強調する翻訳作品の女ことばが日本人の意識に影響し、現実社会では使用がすたれている女ことばの存在を強化する結果になっているという指摘は面白い。

 

役割語が属性を定義する

また、前述のTogetterのまとめを読んだ言語学者の田川拓海がブログで感想を書いているのだが、その中でまとめられている論点は注目に値する。

主な論点は次の二つ(誤読してたらすいません)。

  1. 他言語から日本語への翻訳の過程において、日本語の方の言葉遣いで過剰な/余計なキャラクター付け(を意図した表現)が追加されてしまうことがあること。
  2. その言葉遣いが、実際にはあまり使用されていない場合や、実際には特定の属性/キャラクターと結びつくようなものではない場合があること。

女ことばに代表される役割語は、話者にキャラクター付けをする機能がある。役割語を割り振ることは、話者の属性を定義することである。前述のヒラリー・クリントンに話を戻すと、ヒラリーに敢えて「そうね」「〜だわ」と言わせることで、このニュースレポートはヒラリーの属性を「ベテラン大物政治家」ではなく、「男と議論する女」と定義したわけだ。

穿った見方をすれば、レポートの最後にある「トランプ氏は努めて落ち着き、大統領らしさも醸しだしながら論理の矛盾などは見せずに乗り切っている」という評価を引き出すために、故意にトランプの言葉は政治家らしく、クリントンの言葉は政治家らしからぬ口調に訳していると言われても仕方がない。

発言の翻訳は話者の属性を定義する。逆に言えば、翻訳を見ることで、訳者(または掲載媒体)がその人物の属性をどう受け止めており、どう伝えたいのかがわかるのである。

 

ふたりのヒラリー?

たとえば、ここにヒラリー・クリントン名言集と題するウェブページがふたつある。採録されている発言の例を紹介しよう。

米女性大統領に近い存在、ヒラリー・クリントン名言集

  • 「女性は絶対に大統領になれない」なんて言う人には、「やってみなければわからないでしょ」って言い返してやるの。
  • 米国務長官として自分が成し遂げたことは何かって? そうね、聞いてくれてありがとう! 一番誇りを持って言えるのは、(就任)初期に直面したバッシングに関係があるわ。最初の頃は人々の考え方があまりにも狭いところに集中していて、広い視野が欠けていたように思う。だけど私たちがバッシングを克服したことは、自分でもよくやったと思ってる。 とても誇らしく思ってるわ。思うに、それが一番の功績じゃないかしら。

ヒラリー・クリントンの名言 厳選集

  • 不安はいつだってついてまわります。でも、私たちには不安がってる時間はないんです。
  • 私はビルに「意思決定のデッドラインを決めなさい」といった。ビルを知っている人ならわかっているが、デッドラインが決められていないと、賛成・反対の可能性をいつまでも探りつづけてきりがない。

とても同じ人物とは思えないほど口調が違う。

種明かしをすると、前者は日本版『コスモポリタン』の記事。導入部には「2016年11月に行なわれる「米大統領選挙」に立候補しているヒラリー・クリントン。”アメリカ初の女性大統領に最も近い存在”ともいわれる彼女の、これまでの名言を集めてみました」という文がある。
http://www.cosmopolitan-jp.com/entertainment/matome/a106/the-10-most-powerful-hillary-clinton-quotes-of-all-time/

後者は「名言DB|リーダーたちの名言集」というサイトの1ページ。「投資・経営・起業・ビジネス・お金の分野で成功した人々の言葉を掲載しています。あなたの経済状況を良くしたり、仕事の能率アップ、人生の質を上げるヒントが詰まっています。気に入った言葉は手帳などにメモをしてご活用ください」という主旨のサイトだ。
http://systemincome.com/tag/%E3%83%92%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3

つまり、前者は女性読者を対象に、「アメリカ初の女性大統領になるかもしれない女性」であるヒラリーを紹介する記事なので、ヒラリーの女性性を最大限に強調している。掲載した発言も、ジェンダー平等やフェミニズムの視点から語られたものが多い。一方後者は世界のリーダーの言葉を集めたビジネス系啓蒙サイトなので、ヒラリーについても重要なのは「リーダー」「成功者」という属性であり、性別は関係ない。むしろ、男性読者にも参考にしてほしいなら、女性性は邪魔だろう。

 

後日譚

さて、これを書いている現在は、第2回目のディベートが終わり、最終回を待っているところである。ソーシャルメディアでヒラリー・クリントンの女ことば訳に批判を浴びた日テレNEW24で、第2回の報道がどうなっているか確認してみた。こちらがそのリンク。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20161010-00000059-nnn-int  (※注:記事はすでに削除されている)

 

クリントン氏「トランプ氏は大統領や最高司令官にはふさわしくない。彼は女性だけでなく、移民やイスラム教徒も攻撃している」

クリントン氏「想定通りの展開だった。(トランプ氏が)ウソばかりつくので驚いた」

日テレによると、どうやらヒラリーは女性であることをやめ、政治家に徹することにしたらしい。

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第1回・第2回ディベートの日テレNEWS24記事スクリーンショット

 

※初出:J-Net Bulletin 2016年秋号寄稿

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