「脱成長」について考える3冊

ここ数年、「脱成長(degrowth)」という言葉をよく聞きます。

経済成長とは「社会が生み出す経済商品やサービスの量や質が増えること(Our World in Dataの定義)」ですが、経済成長を計る指標として最もよく使われているのが国内総生産(GDP)です。GDPは、内閣府の定義によれば「国内で一定期間内に生産されたモノやサービスの付加価値の合計額」のこと。しかし、問題は金額に基づく指標であるGDPを使って各国の経済を評価し、比較しているという点で、それはつまり、金銭的価値があるものしか見ていないということです。例えば、ジャングルの木を切り倒して木材として売り、切り開いた土地で牛を肥育して肉として売ればGDPに反映されるのに、ジャングルを手つかずのままで保全しても金銭価値は生じません。また、子育てや介護など無償の仕事はGDPに直接貢献しないけれど、兵器の製造販売は付加価値を生み出す行為です。単純な金銭価値だけではなくもっと包括的な指標が必要ではないかということで、「国民総幸福量(GNH: Gross National Happiness)」や、OECDの「より良い暮らし指標(Better Life Index)」といった指標が提案されてきましたが、世界が気候危機と生物多様性崩壊に直面する今、経済成長という前提そのものが間違っているのではないかという声が上がっています。

「脱成長」は、こうした状況を背景に提唱されるようになった概念で、経済成長の追求が、気候危機やプラネタリー・バウンダリー(人類が生存できる安全な活動領域)の超過といった問題の根本的な原因であり、またこうした問題の解決を妨げる障害になっているという考え方です。経済成長を追い求めることで崖っぷちに追い詰められてしまったのなら、成長を拒否することが解決法なのでしょうか。この問題を議論する本は数多くありますが、その中から3冊を選んで考えてみることにしました。

 

脱成長とエコソーシャリズム – 『人新世の「資本論」』

哲学者でマルクス主義研究者の斎藤幸平が2020年に刊行した『人新世の「資本論」』が日本で予想外のベストセラーになった、という話題は英国でも報道されました。環境危機から脱出するためには脱成長が必須である、と強く訴えるこの本を通して「脱成長」という言葉に初めて出会った人も、日本には多いのではないでしょうか。ここ数年よく提唱されるようになった「グリーンニューディール」政策を、本書は否定します。グリーンニューディールの根底にあるのは、GDPの成長と温室効果ガス排出量の増加を切り離し、「グリーンな成長」を追求するというアプローチで、著者はこれを「気候ケインズ主義」と呼びます。しかし、気候ケインズ主義ではパリ協定の目標達成のために必要とされている急速な脱炭素化は実現不可能であり、問題は資本主義の構造そのものである、というのが著者の主張です。資本主義においては生産は人と天然資源の搾取なくては成り立たないからだ、というのです。

本書では、人新世が直面する未来の姿として、4つのシナリオを提示します。それは、気候変動という危機を搾取する災害資本主義により不平等が悪化する「気候ファシズム」、気候変動と不平等の増加が社会を揺るがし、政治が崩壊してホッブスが「万人の万人による闘争」と表現したカオスに陥る「野蛮状態」、これを避けるために独裁者による中央集権体制が脱炭素化を進める「気候毛沢東主義」、そして著者が危機脱出のシナリオとして提示する、マルクスの思想に根ざした「脱成長コミュニズム」です。一般に、『資本論』に代表されるマルクスの思想はエコソーシャリズムとは相容れないものというイメージがありますが、著者はマルクスが残した未刊行の遺稿、特にヴェラ・ザスーリチ宛の手紙を読み込み、晩年のマルクスがヨーロッパ中心主義や進歩史観から離れ、前資本主義社会の共同体の中に、自然と共に生きる持続可能なポスト資本主義経済の新しいモデルを見いだしていた、と言います。

著者は本書で、エッセンシャル・ワークの価値が正しく評価される「使用価値経済」への転換や、ワーカーズコープによる生産過程の民主化、草の根運動から広がる気候正義の実現などを通して大量生産・消費社会から脱却し、地球を「コモン」として民主的に共同管理し、真に潤沢な脱成長コミュニズムを実現するというビジョンを描きます。

 

イノベーションを育むグリーン成長 – Growth for Good

アレシオ・テルツィが2022年に刊行された本書の著者は欧州委員会のエコノミストです。その第一部で、著者は脱成長とエコソーシャリズムを取り上げ、なぜこのアプローチを拒否するのかを説明します。エコソーシャリズムに基づいて運営されるエコビレッジは一見理想郷のように思えますが、それは脱成長を目指して集まった人々が自主的に選んだライフスタイルだから実現できるのであって、都市や国家といった規模にスケールアップして住民のコンセンサスを得ることは不可能だ、と著者は言います。また、既存のエコビレッジでは、たとえ住民が自然に根ざした脱成長コミュニティを築いていても完全に自給自足できているわけではなく、結局はビレッジの外の資本主義経済が生産する必需品に依存している、と指摘します。

著者は、出身国であるイタリア(と、欧州外の例として日本)の例を挙げ、豊かな富と文化を享受する先進国で生産性が落ち、経済成長が停滞したときに出現するのは、サステナブルな定常経済ではなく、長寿と健康に恵まれても幸福感を得られない国民が、近視眼的な政策に対する不満をポピュリズムとして吐き出すという現象であり、また経済成長が止まったからといって炭素排出量や環境負荷の削減が進むわけでもないのが現実だ、と指摘します。

人々の健康・福祉、自由民主主義社会、科学や技術革新は経済成長と密接に関連している、というのが本書の中核的な主張です。気候危機と地球環境崩壊を未然に防ぐためには急速な脱炭素化を実現する技術革新が必要であり、そのためには経済成長が不可欠であって、気候危機に取り組むために必要なのは脱成長ではなく、経済成長を「グリーン産業革命」の原動力として活用することだ、というのです。排出量規制や炭素価格の設定、グリーン産業振興政策、グリーンイノベーション促進のインセンティブ導入などの手段により、うまく資本主義の舵を取って脱炭素化を加速させる、というグリーン成長のビジョンは、米国バイデン政権のインフレ抑制法(IRA)や、それに対抗してEUが打ち出したネットゼロ産業法(NZIA)の理論的土台と言えるでしょう。

 

成長パラダイムを超えて – Doughnut Economics

「反逆の経済学者」を自称する著者ケイト・ラワースは、2011年に貧困撲滅を目指すチャリティ団体オックスファムに、「脱成長とグリーン成長のどちらを支持すべきか判断できるようポリシーペーパーを書いてほしい」と依頼された経験を、本書の中で語っています。引き受けたもののなかなか答えを出せず悩んだ著者がたどり着いたのは、この質問にストレートに答えようとすることが問題なのだ、という結論でした。著者は脱成長支持者と評されることもありますが、この逸話を見ても分かるとおり、この描写は的を外していると言えます。脱成長コンセプトの根底には資本主義経済の拒絶がありますが、本書のアプローチは拒絶ではなく発想の転換です。

本書の中核にあるのは、2つの同心円で構成されるシンプルな図です。内側の輪は人間の幸せの社会的な土台、外側の輪は地球の環境的な上限を示しています。この図は、人類が地球で安全に活動できる限界を示す9つのプラネタリーバウンダリー を示す図に似ていますが、それに内側の輪を追加することで、社会的に公正な状態を保つための下限の存在を同時に示します。著者は、この2つの輪の間にある安全なグリーンゾーンを「ドーナツ」と呼び、世界の誰もがドーナツの範囲内で生きることができるようにするためには、経済そのものに対する考え方を変えるパラダイムシフトが必要だ、と言います。


プラネタリーバウンダリー「ドーナツ」 

ドーナツの本質は、人と地球のウェルビーイング(幸せ、健康福利)に焦点を当てて世界経済を見直すパラダイムシフトのフレームワークです。経済は人類がドーナツの範囲内で繁栄できるような社会を実現するために機能すべきであり、その目標が達成できるなら経済が成長するかしないかは二の次である、というのが著者の主張です。成長にこだわるのをやめて繁栄をもたらす経済を目指す必要があり、経済成長自体が問題なのではなく、成長を目的にしてしまうことが問題なのだ、というこのアプローチは、「成長を超えて(beyond growth)」または「ポスト成長(post-growth)」と呼ばれることもあります。2017年に刊行された本書は世界中で注目され、アムステルダムやブリュッセル、グラスゴー、メキシコシティなど、ドーナツ経済学のアプローチに共感し、この枠組みを実際に政策に取り入れる都市も出てきています。

 

ウェルビーイング経済

私が住むスコットランドの政府※2は、「ウェルビーイング経済政府(Wellbeing Economy Governments、WEGo)」パートナーシップの設立メンバーです。 ウェルビーイング経済同盟(Wellbeing Economy Alliance、WEAllという団体のサポートの下で2018年に設立されたこのパートナーシップには、スコットランドの他にニュージーランド、アイスランド、ウェールズ、フィンランド、カナダが参加しています。WEAllは「ウェルビーイング経済」を「従来の経済のように経済成長を目的とし、何を犠牲にしても成長を達成しようとするのではなく、人類と地球のニーズを経済の中心に据えて、こうしたニーズをすべて公平に満たすことをデフォルトにする経済」と定義しています。

ウェルビーイング経済の概念は、脱成長論議の枠組みの中から出てきたものではなく、人によって「脱成長・定常経済の別名だ」と言う人もいれば、「グリーン成長やインクルーシブ成長といった『パーパス(目的)のある経済成長』を志向するコンセプトだ」と言う人もいます。経済成長にこだわらず、人と地球を中心に置くというアプローチは、ドーナツ経済学との親和性が高そうです(実際ラワースはWEAllのアンバサダーのひとりです)。 私の理解する限りでは、ウェルビーイング経済とは人間と環境のウェルビーイング、つまり幸せと健康という目標に焦点を当て、この目標を達成するために経済を再設計するという考え方です。そのためには経済成長が必要かもしれないし必要でないかもしれない。またその結果経済は成長するかもしれないししないかもしれない。国によって経済事情はみな異なるため、目標を達成する道筋も違って当然である、ということではないでしょうか。

脱成長に関する論議の落ち着くところも、最終的にはこれなのかもしれません。

 

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※1: 私は英語で読みましたが、本書は邦訳が出ています。

※2: スコットランド政府は、英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)内の自治政府で、アメリカ合衆国の州と同じように立法権があり、環境、建築、経済開発などの政策を担当する他、所得税制、社会保障やエネルギーネットワーク事業許可などについても、限定的な政策決定権があります。一方、経済政策やエネルギー政策、貿易・産業振興などは英国政府が権限を保留しています。特にグリーン・サステナブル経済への移行に関連する分野の多くでは、英国政府の権限とスコットランド政府の権限が複雑に重複しています。

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